横浜に住んでいる友人に、獅子舞見た?と聞いて笑われてしまった、それ以上恥をかきたくなかったので詳しく聞かなかったけど、きっといなくなってしまったのかな。
ここアメリカでは、あなたのお正月はチャイニーズニューイヤーか?とよく聞かれます。
ここと同じ、一月一日ですよというと不思議そうな顔をする人がいる、きっと東洋人はなんでも同じと思っているのだろう、サンクスギビングは日本にあるのかと聞かれるよりはまだマシですね。
そうかと思うとやたらと日本に詳しい人もいる。
ミッシマーを知っているか?ミッシマー。。。。と言われ答えられずにいると、しばらく経って三島由紀夫の事を話しているという事が発覚、彼と天皇制度についていろいろと聞かれ汗をかいたこともあります。
自分の産まれた国を離れ、遠い異国に住む人達のお話はとても興味が湧きます。
そして年をとったら帰国するのかという点、みんな考えるのですね。
お友達のご両親は台湾に帰るのだそうです、そしてラオス出身のご夫婦もやはりリタイアしたら帰るという。 私はどちらかというと、日本に帰ってもファンクションできないと思うんです。
日本にいる血縁者とは疎遠で、両親ともいろいろな事情でもう何年も話していませんし私は一人っ子です。
30年以上アメリカに住み、3人の子供と夫、少ないけれど良き友人がここにいて、帰る動機なんてなにもないような。 なんだか暗い雰囲気になってしまいましたが、私自身はケロっとしています。
それだけ今、幸せに生きているのかもしれません。
終戦後日本からアメリカに渡った女性達のお話は実にハートにドッシリと感じます、船に乗って渡米したのですね、そして船の中で同じく日本人に会うと、日本国籍を絶対に放棄するな、してしまうとどんなに辛いことがあっても日本にはかえれないぞと言われたのだそうです。
どんな気持ちで海を渡ったのでしょうか。実際アメリカで暮らしてみてみなハッピーエンドになったのでしょうか?
私は学生としてアメリカの田舎大学で勉強するために来ました。 日本人学生はいなかったけれど、外国から来ている学生達と仲良くなりましたっけ。
フェースブックなんて無かった。 コンピューターもライブラリーに3台だけ。インターネットなんて勿論ない。 フットボールが強い大学なので、ゲーム応援はソーシャルシーンでした、ルールも何もわからないゲームを良く観戦したものです。
人種差別で不愉快な思いをしたことなど、幸い一度もありませんでした。
そして外国に行くたび、アメリカに帰りたいと思います。
日本に行っても変にエトランジェになったような。特に東京は変化が激しいからそうなのでしょう。
長いことお邪魔してしまったこの国、まだ退散する気にはなれません。