Monday, January 10, 2011

悲しいショック

先日土曜日にアリゾナ、ツーソンでおきた事件を聞いて身震いがしました。
22歳の若者が政治家を射殺しようとして、6人もの犠牲者を出した事件です。
ターゲットとした政治家の関連者だけではない、ランダムにいた人間が死にました、9歳の女の子も。
政治の方針に怒りを覚えて政治家を狙ったにしたとはいえ、実際本人の政治に対する関わりは殆どなかったらしく、一体何に腹を立てていたのか依然として不明らしいのですが。

この事件には今のアメリカが抱えている大きな問題がいくつかあると思えます。

中でも一番恐ろしいのが若者達の大勢がガマンするという事ができないという点、そして孤立している人が非常に多いという事実です。

いつからそうなっていったのかはっきりとは覚えていませんが、みんなスペシャル、みんないい子的方針が学校にはびこってからおかしくなってきたような気がしてなりません。

スペリングビーという昔から行われているスペリングのテストは、優勝者が一人であるため(当たり前なんだけど)他できなかった子供たちが挫折するからという理由で多くの学校が廃止しました。

バースデーパーティーの招待状も、クラスの子供たち全員を招待しないのであればクラス内で配らないこと、招待されない子供が悲しい思いをするから。。。。 と例をあげたらキリがないほど子供たちを温室で育てようとする方針。 招待されない子、勿論可哀想だけれど、中には仲のいい子も悪い子もいるのだから。 それを理解して行くのが大人になっていく過程であると私は思います。

スペリングビーの優勝者、堂々と優勝者であっていいのです、それだけその子が努力したのだから。

なんでもかんでも子供をかばう、というのはかえって良くないことだと、時として考えます、結果甘やかして育った子供達、体は大きくなって成人に見えても、心の中は小学生程度かもしれません。
悔しかった、でもガマンした、次回は頑張るとかいう精神が全く無いようです。
頭に来ても、怒りを覚えても、それを上手くプロセスする訓練が全く無いわけですよね、だから即、人のせいにして恐ろしい行動に移すのかしら。。。。

この事件を起こした若者、どんな家庭に育ったのかはわかりませんが、裏庭にあった偽物の骸骨をあがめる祭壇が親の目に見えなかったわけがありません。 短期間通った大学では教授から精神に問題のある生徒として学校側に訴えかけ、結局検査をしてOKが出ない限り退学処分となったらしい。
ただ挙動不審であるとして精神科に放り込むのは問題ですが、何かできなかったのか。。。。

時々若い人達が実際の友人はいないけれど、インターネットを通した友人が一杯いると言いますが、顔を合わせてコミニュケーションしない(できない)という点、ちょっと気味が悪いような。。。。

昔は友人がいて、話しあって、ストレスを解消したり、いいアドバイスをもらったりして人間社会の一員として存在できたのに、今は一人でパソコンを叩き、”友人”と”コミュニケーション”するのでしょうか?

インターネットは素晴らしい道具だと思いますが、それが人生全てではないですよね。
私だってこうしてブログを発信して遠い所に住む人達と知り合える幸せは一昔では考えられなかった。
友人や家族と顔を合わせ、話し合う事は本当に大切だと思うんです、しかしそれがどんどんとなくなっていくような気がしてなりません。

今回の事件で犠牲になった方達のご冥福を祈ります、そして今病院で生きるために戦っている人たちが全快されますように。